源泉名称 葛城の郷 鴨君之湯の由来
「日本書紀」によれば、神武天皇が高尾張邑に来たとき、土蜘蛛(土着の民)と戦いになり、皇軍は葛の綱を結い退治したので、改めてその邑を葛城と名づけたと記されています。
古代から、葛城と称されたその地域は、大和六県の一つと伝えられ、大和高田市、御所市、香芝市、葛城市及び北葛城郡の広範囲な地域でした。またその昔、金剛、葛城山麓一帯は、鬱蒼とした森が広がりその森は神々が鎮座する森厳な森として人々に慈しまれていました。
鴨と称されたその地域は、南は金剛山麓に鎮座する高鴨神社から、北は葛城山麓・鴨山口神社、東は鴨都波八重事代主神社に及ぶ、金剛・葛城山麓一帯の呼称でした。このようなことから、葛城の鴨神奈備と称された“鴨”の地に、人々が会い集う場所として、葛城の郷 鴨君之湯と命名しました。